【多摩地域の難読地名クイズ】難読地名を10問出題!めざせ、多摩地域マスター!
ふと見かけた地図や看板で目にする地名。思わず「なんて読むの?」と首をかしげてしまう地名を"難読地名"といいます。30市町村ある多摩地域にも、いわずと知れた難読地名がいっぱい!その中から、今回は10問出題します。全問正解して、多摩地域マスターをめざしましょう♪
【第1問】
油平(あきる野市)
<ヒント>
そのまま読んでしまったあなたは、ちょっとおしい!
【答え】:あぶらだい
【地名の由来・ミニ知識】
奥多摩山地の麓である、あきる野市秋川駅の南側のやや小高い台地に位置する「油平(あぶらだい)」。天正18年(1890年)に、小田原北条の家人の中村但馬守が住みつき、村を作ったといわれています。地名の由来は、灯火用の油をとる作物を作っていたことに由来するといわれ、江戸時代初期の<武蔵田園簿>という本に<油平村>として出てくるそうです。
【第2問】
百村(稲城市)
<ヒント>
ひゃくそんと読んでしまいそうになるけど、ちがうよ!
【答え】:もむら
もむらの<も>とはひだの多いスカートを表す裳(も)と、<むら(村)>をかけあわせた意味、もしくは<も(裳)>と<むろ(山に囲まれた小河谷の盆地)>という意味があるのだそう。百村の中心には現在も三沢川が通り、かつては竪谷戸川が流れていたため、川に沿ったひだのような山や傾斜が急な崖が多い盆地形であったことから名付けられたようです。<も>の佳字である<百>は、たくさんなどの数が多いことを意味するめでたい漢字のため、当て字として付けられたのではといわれています。
【第3問】
軍畑(青梅市)
<ヒント>
戦国時代、ここで戦(いくさ)がおこなわれたそう!
【答え】:いくさばた
戦国時代、軍畑駅周辺でかつて青梅地方の支配者であった辛垣城主・三田綱秀と八王子付近一帯を支配する滝山城主・北条氏照による激戦<辛垣の合戦>が繰り広げられたことが軍畑の由来だといわれています。辛垣山には、三田氏の最後の城<辛垣城>跡地があり、わずかに残る遺構を見ることができます。軍畑駅から御嶽駅までの高水三山を歩く入門者向けの登山コースが人気で、多くの登山客が訪れます。
【第4問】
谷保(国立市)
<ヒント>
地域に同じ漢字を使った東日本最古の天満宮があるよ!
【答え】:やほ
谷は<やつ>ともいい、湿地のことで、<保>は律令制における末端の行政組織で、5戸を1組として構成され、治安・納税の連帯責任を負ったそうで、「谷間にひらけた集落」や「湿地帯の台地」という説があります。近くには、学問の神様・菅原道真を祀った東日本最古の<谷保天満宮>があり、亀戸天神社・湯島天満宮と合わせて関東三大天神と呼ばれています。谷保駅ができたことで<やほてんまんぐう>と呼ばれるようになりましたが、<野暮天(やぼてん)>の由来ともなった<やぼてんまんぐう>とも呼ばれます。
【第5問】
愛宕(多摩市)
<ヒント>
ある神社名に由来しているよ。全国に分社があるため、同じ地名が全国にあるよ!
【答え】:あたご
愛宕という地名は昭和46年に新設された町名で、この地域にある上和田愛宕神社から名付けられたそうです。上和田愛宕神社の創建年代は不明です。防火の神を祀る愛宕信仰に由来し、創建されたのではないかといわれています。<愛宕>を社名につける神社は全国に約900社あり、愛宕の地名も全国各地に広がっています。上和田愛宕神社はもともと山頂にありましたが、多摩ニュータウン開発によって麓近くへ移転されました。
【第6問】
佐須町(調布市)
<ヒント>
福島県相馬郡飯舘村にも同じ漢字を使った地名があるけど、読み方はちがうよ!
【答え】:さずまち
この地域で神主をしていた佐須豊後(さずぶんご)という人の名前から取ったという説や、流水や風で流された土砂が堆積して形成される地形が長く伸びた砂州(さす)からと来ているなどいくつかの説があるそうです。地域内にある甲州街道から中央自動車道までを結ぶ道を<佐須街道>と名付けられています。福島県相馬郡飯舘村にある佐須は、(さす)と読みます。
【第7問】
廿里町(八王子市)
<ヒント>
見慣れぬ「廿」という漢字は、あまいじゃないよ。十を二つ合わせて、二十を意味する漢数字だよ!
【答え】:とどりまち
鎌倉から20里の距離にあったから付けられたとの説がありますが、定かではありません。<廿>は<二十>を意味する漢数字。つまり十が二つという意味が<十十里>となり、<とおとおり>が<とどり>になったものといわれています。地域には標高230mの小さな山「廿里山」があり、麓には<廿里古戦場史跡>があります。戦国時代永禄12年(1569年)に武田信玄の別動隊・小山田信茂の隊と滝山城主北条氏照の家臣らが合戦した地として有名です。
【第8問】
牟礼(三鷹市)
<ヒント>
<牟>は、あるカタカナの元になった漢字といわれているよ!
【答え】:むれ
<牟礼>の由来は明らかではありません。牟礼の地名は九州、西日本に多く見られるのだそうで、7世紀頃に中国や朝鮮半島から日本に渡来した渡来人が住んだ地域に"牟礼"をつける例が多いそうです。牟礼とは古代朝鮮語で<山>をさすため、小高い丘陵を指したのではという説があるそうですが定かではありません。三鷹市内で標高が最も高い<牟礼の里公園>があり、天気のいい日には富士山が見えます。カタカナの<ム>は<牟>の漢字から生まれたといわれています。
【第9問】
是政(府中市)
<ヒント>
近くに、同じ地名の駅と橋があるよ!多摩マスターのあなたは知っているかも!?
【答え】:これまさ
是政の由来は<新編武蔵風土記稿>によると、戦国時代の小田原北条氏に仕えた井田摂津守是政という人物が、この地を開拓したことから名付けられたといわれています。東京競馬場の南東側一帯の多摩川競艇場を含む地域です。多摩川には<是政橋>が渡り、地域には西武多摩川線の終着駅<是政駅>があります。
【第10問】
廻田町(東村山市)
<ヒント>
「廻」はくん読みで読むよ!
【答え】:めぐりたちょう
廻田町の由来は、室町時代の僧侶・道興准后の記した「廻国雑記」によると、古くから廻田に住む人々は、丘をとりかこむような形で村を開拓しました。隣村を行き来するために、田から田をめぐったことから、「めぐ(回)った(田)の先の村」という言葉が生まれ、回田(旧字)と記されていたそうですが、昭和39年の町名・字区域調整の町名設定のときに「廻田町」となりました。廻田町は狭山公園の麓にあり、丘から望む廻田町の夕日はとても綺麗です。
さて、何問正解しましたか!?
<正解数>
・1〜3問 多摩地域ビギナー
・4〜7問 多摩地域ミドル
・8〜10問 多摩地域マスター
8問以上答えられたあなたは、多摩地域マスター!多摩地域の地名についてよく知っているので、これからは難読クイズを周りの人たちに出題して盛り上がってみてください!
戦国時代の戦や農作物や、開拓した人の名前等が由来になって付けられる地名。その地名は歴史を伝承する一役をかっているため、地名の由来をひも解けば、その土地の歴史が垣間見えます。難読地名をもとに周辺にある地名のついた神社や橋などを訪れて地域の歴史を感じてみるのもいいですね。
取材・文/加賀美明子(Neem Tree)